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ハマったものについて書いたり書かなかったり。

金沢での話

星座にかこつけたキャラ感想はひとまず置いといて……春に金沢へ行ったときの写真。まだ桜がポチポチとしか咲いてなかった頃です。金沢城

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その周りに高台というか石垣の上にいくつか櫓跡がありまして、おそらくそこから撮った写真です。そこに至るまではこのお城から森になっている坂を登っていきます。その途中にあったのがこれ。日露戦役紀(念かな?)

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このときは金カムを読んでないので今ほど興味をもっていませんでした。ですが、こんなところにこんなものが……と思って写真を撮る事に。本当に森の中、そのまた草むらの中にひっそりとありました。大して知らないのに一抹の寂しさを覚えましたね。

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補足で近くの池。池の水きたない。鴨は元気に頭を突っ込んでいましたが。

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ついでに補足。兼六園の池。こっちは綺麗。心なしか鴨も凛々しい。

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↑のは幾つかある櫓跡のどれかの近くから見える(あやふや)もの。これはおそらく旧日本軍のなにか(あやふや)。とはいえ、この時はむしろつくしメインで撮った気がする。

他にも旧日本軍第9師団(金沢が本部。北陸三県出身者中心)の史跡や現存してる建造物などが金沢城(戦前は金沢城自体が軍のものだった)周辺にたくさんあったのですが(パンフレットで見たのであーこんなんあるんだとは思っていた)、当時の私はとにかく戦国、江戸気分で金沢城兼六園を見てあんころ餅買って帰る事しか考えてなかった。近いっちゃ近いけどほいほい出歩かないんだし、しこたま見とけば良かったなー。写真撮ったのもいくつかあったけどそれを容量ケチりたいがために消したのもマジなにやってんだって感じです。というか、金沢は空襲無かったのかな?

金カムの魅力の一つとも言える第7師団。じゃあ私の地元の師団(第9師団)は当時どうしていたのか? その答えはWikipediaにあった……。というか第7師団調べようとして見た旅順攻略戦のところに第9師団がいたのです。しかも第三軍に第7師団投入される前からいた(途中加入だけども)。しかも最後までいた。
ちょ、第9師団、戦死者や負傷者の数も割合も酷い…(´;ω;`)他と比べても一番酷いやんけ…。
福井県民はどうなんだと調べてみたら鯖江の連隊(天皇の料理番で見た)の情報が出てきたのですが、うん、奉天会戦後の健在者少な過ぎて。そもそも旅順で死に過ぎというか…。同じく、もしくはそれ以上石川も富山も(一部岐阜県民も)悲惨だった模様。将校クラスも死にまくってるし兵力弾薬その他補充しようにも予備さえ使い切ったとかなんか、うん。三十年式でもない村田銃(金カム中でさえ古い扱いであったもの)で、その弾薬さえろくにない中、前線で戦ったのか。おお……。
小さい頃にちらっと見てさだまさしの歌とあおい輝彦の印象しかなかった映画二百三高地ですが、あのあおい輝彦が演じてた役は金沢の人だったのか。今度BSで放送されてたら見よう。
(ちなみに余談も余談だが、第7連隊の歴代連隊長のページを見ていたら川崎宗則という名前の人がいらっしゃった。)

そう思うとあの金沢城の草むらにひっそりあった碑がより一層切なく感じます。調べて(ググっただけです、すみません)思いましたが、第7師団は金カム作中にも描かれていた通り道民から愛されてますね。検索しても第9師団と全然違うや…。情報量が。
あんまり関係ないけど福井県民の日露戦争での死者数(人口比率?)が全国4位とあったのでそれより上位の三県が気になる今日この頃。おそらく石川富山と第1師団の東京か11師団の四国のどこか辺りと予想。ググっても出てこないので予想で留めておく。引きこもりは図書館まで行けないのだ。